珠洲市への支援

2024年4月15日

珠洲市への支援

3月13日〜16日にかけて、能登半島の珠洲市へ支援活動を行わせて頂きました。
行くきっかけになったのは、加賀の林さんの運営するシェアハウスへ避難してきた40代のIさん
の依頼です。実家を片付け必要なものを運び出したいということでした。

そのIさんから聞いたお話は次のような内容でした。
年末は震度5、1月1日は震度7、家は傾き家財道具はあっちこっちへと散らばり、タンスなどは
上半分が飛んでしまっていました(写真)。家族は全員無事でした。
Iさんは地震の後骨折をし病院に行きましたが、まさに野戦病院という感じで処置も十分といえ
ず、次の病院で手術となりました。
いろいろ支援していただき感謝しています。支援物資もたくさんいただき、
今は炊きだしの温かいご飯がうれしい。自衛隊にも支援いただいています。

(写真は物資記入用紙)

何が辛いか、先の見通しがたたないことです。家を建て直すにしても、
地盤からでとても資金が足りません。まだ家族が見つからない人もいます。

13日に加賀市へ入り、支援計画の打ち合わせと休憩を取り、14日の朝に珠洲市へと向かいまし
た。能登半島の先の珠洲市までは、道は一本道で道中崖などもありまだまだ整備途中でした。
加賀市から珠洲市へは、約5時間半で到着しました。

はじめに少し大きな避難所へ向かいました。車中からの風景が、全壊している家ばかりへと変わ
りました。3月10日ようやく水道が開通したところへ、支援物資を運びました。
そこでは様々な人のお話を聞かせて頂きました。
「私達を忘れてられていない気持ちが嬉しい」「大阪からわざわざありがとう」と感謝の言葉を
頂きました。

そして、まだ水道が復旧していないところの集落へ行き、倒壊しそうな住宅の中に入り、大切な
思い出のあるものを二次避難所へ運ぶ作業を行いました。
もうこの集落の半分の住民は市街へ行き、地方に住む子どものところへ避難した人もいます。
この集落への水道の復旧も目処が立ちません。落胆していたなかでも、感謝の気持ちを頂きまし
た。

その後、被害が相当酷い海岸付近へ行き、見附島の崩れ果てた様子を見て、言葉を失いました。
復興までの道のりは、相当な時間、10年くらいはかかると思いました。

私たちは、今後も継続して能登半島の復興支援を行っていきます。

阪南市から能登へ行った二人から聞いた話をまとめました。
また、古くから伝えられている言葉「能登はやさしや、土までも」が心に残ります。

阪南市から能登へ行った二人から聞いた話をまとめました。
また、古くから伝えられている言葉「能登はやさしや、土までも」が心に残ります。